#003

カサブランカ

2016.02.09

カサブランカ上空

現地時間お昼過ぎ、目的地のモロッコへ着いた。
成田を出発してすでに24時間が経過。
ちょっと眠く、ちょと疲れていたけれど、気温が20度で快晴のせいか、脳だけが、これから1日が始まる、みたいなモードになっていた。

飛行機が着陸のため高度を下げていくと、雑誌やガイドブックで見ていたイメージと同じく、茶色と緑色の広大な大地が見えてくる。
異国の地、というよりはどこか馴染みのあるような、ほっとするような、そんな気もしたけれど、着陸して大きな椰子の木のようなものがたくさん見えて、入国手続きの人ごみに、スカーフを身につけているイスラムの女性や、同じくあのイスラムの人の帽子をかぶっている男性をみたとき、あ、違う国(エリア)に来たんだなぁと思った。けれどやっぱりどこか馴染むものを感じて不思議な気持になった。

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モロッコは日本時間よりマイナス9時間の時差がある。
タイムトラベラーのようにモロッコの地で9時間分をもう一度生きる。

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全ての手続きを終えて、カサブランカの地へ。
そこで、sanpousha morocco(今回の旅で同行している三方舎さんのモロッコ支局?支部?現地法人?)のヒシャムさんと合流。

ヒシャムさんは、絨毯工房とのコーディネートや私たちの移動手段・宿泊の手配、ほか私たちとモロッコの地を繋いでくれる重要な人。

はじめまして、お世話になります。
ここでひとつ挨拶を覚えた。
「アサラームアレイコム」=「こんにちは」
耳で聞いた感じは「サラマレーコム」。
平和とか、あなた方のうえに平安あれ、と言う意味らしい。
通貨はDH(ディルハム)。
看板はアラビア語とアルファベット。
わからなすぎておもしろい。

さて、今回この旅ブログのタイトルを、「MOROCCO全力取材記」としたのは、出発前の会議で三方舎の代表・今井さんが作ってくれた工程表に「全力取材」とあり、この仕事は「全力」でやるのだ、という気合いの意味も込めてるわけですが、当初到着後「モスク見学」となっていたところ「工房取材」と予定変更となり、カサブランカに着いてすぐに全力を出すこととなった。

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今回モロッコに来たのは、私たち、高橋・小林それぞれに、三方舎さんの商品である<GOSHIMA絨毯>のデザインを手がけており、4月より、その商品をインターネットのショッピングサイトで販売するため、そこで伝える素材を集めに、また、モロッコという地を肌で感じるためにはるばるやって来ました。

ECサイト(オンラインショッピング)開設の計画は、2015年の夏にふいに浮かび上がったわけですが、その理由については、また別に記すことにして。。。

さてさて、本題の工房へ。全力で工房へ。

GOSHIMA絨毯には様々な柄のデザインがありますが、今回はその中の「SIPPOU」の織り途中を見学・取材・撮影させていただきました。この高橋のデザインによる「SIPPOU」は2015年グッドデザイン賞を受賞しています。

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今回は小さなサイズのSIPPOUを織っていただいていました。
この道25年という熟練の技術をもった織り子さんが二人、並んで座って作っていた。
普段は、おしゃべりしながら織っているとのことでしたが、日本から人が来てちょっと緊張していらっしゃったのか、黙々と、それはそれは黙々と、織っていた。
多分、それは普段の姿ではないのかもしれないけれど、逆に、糸を結ぶ音、糸を切る音、たたく音、薄暗い静かな空間に淡々とかすかに響いてくる音が、なんとも心をぎゅんっとさせた。

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工房は割と古く、建物の中の薄暗さや、天井のしみ、床のひび、織り機のパイプの塗装が剥げたあと、高い窓からさすかすかな光。そこにあるもの全てに、埃にすら、その工房の歴史が積み重なっているようだった。それは、きっと機械織りの工房でも同じだとは思う。
でもそこに、手仕事の工房との違いがあるとすると、当たり前に「人」なんだと思った。
それは「人が織る」ということ自体をよしとするわけではなく、「シンプルな設備とともに技術ある労働があるということ、そしてその仕事が生活と人生につながっている」ということがいいなと。カサブランカの街から受ける印象も同じく、単純なものの強さがあった。

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きっと今回静かだった織り子さんお二人、いつもペアで織っているというから、おそらく家のことや子どものこと、旬な話題、そんな他愛もない話だってしているはず。
そういう時間もそこには織り込まれている。機械が悪い訳ではない。だけど、そこに人がいるということは、作り手と使い手の間に「関係」とか「経験」というものが生まれるのだと思う。

人の手先が生み出すものは、どうしてこんなにも愛おしいのだろうか。

のどと鼻がつーんっとなった。
泣いてもいいと言われたら泣いていたかもしれない。その感動は、「織り子さんの技術に驚いた!」とか「なんて素晴らしい!」みたいな派手な質のものではなくて、なんだか日本からとっても遠い国の土地のこの小さな建物のなかで、こんな技術を持った人が、さりげなく「ここにいた」というなんてことのない事実に、そのこと自体が愛おしかったのかもしれない。
そして、「特別なこと」ではなくて「あたりまえのこと」として「絨毯を織る」という手仕事がほんとうにあったということがとても嬉しかったのかもしれない。

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絨毯のスペック、質のよしあし、みたいなことは実際全くもってわからない。
同じ現場にた三方舎さんは、また違う角度からものごとを見ていた。
それぞれの立場で捉えることがあるとすると、風の壷と羅針盤はどういう切り口なのかと考えた。

2時間程工房に滞在して、ぐったりするぐらい撮影に集中していたし、この目の前に現れた風景をどう伝えたらいいかとそれぞれの役割のなかでぐるぐるした。

ふと、織り子さんたちと私たちが同じフラットな大地に並んでいるように思えた。
しかも、それぞれの手に、それぞれの仕事道具を持って。
言葉は通じないし、変な緊張感は漂っているし、意思疎通も、挨拶もままならない、お互いどんなひとなのかもわからない。けれど、ひとつのSIPPOUというものを取り囲んで、そこには目には見えない「表現者」としての集合体が完成していた。

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これまで「背景があるモノは素晴らしい」「ストーリーあるものづくり」というフレーズをよく見聞きしてきた。そうだなぁとも思ってきた。そういうものを作ろうとも思ってきた。
でも、二人の織り子さんの手仕事をみて、「背景」ではなく「前景」だと思った。
「背」に対する言葉は「腹」かもしれないから「腹景」というべきだろうか。
とにかく、背後ではない、ということ。

私たちがこれまで「背景」だと思って、「背景」として作ってきたのは、全く持って目の前にあること。ほんとうは見えているもの。確かに当たり前に目の前にあること。
実は、、という種あかしではなく、言い換えでも、説明でもなく、それは単純で純粋な魅力。

それをはっきりと表現する。
堂々と表現する。

工房に立ち、そういう表現するにはどうしたらいいのか、と考えた。
私たちのお客様になってくるひとには、そういう切り口で伝えて見せたいと思った。
そうしたら三方舎の今井さんが、今日この日の取材の記しとして、この現場の事実として、

「横にいれるしめ糸に赤の糸をいれてもらうか?」

と提案してくれた。
そういうアイディアは、スペックの知識と経験があるからこそ生まれるもの。
バランスなんだと思った。

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その提案のもと、入れる糸は1本か、2本か、それを確かめるために、織り子さんが私たちに手招きをし、どうするか?と尋ねてくれた。その瞬間に小さな関係が生まれたと感じたし、何も言ってないけど、やっぱり、同じことに向かっているひとはわかるのだと、かすかな希望も感じた。4月のサイトオープンには、世界にたった1枚、このSIPPOUの裏に織りこまれた赤い糸に出会えます。

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工房を後にし、大西洋を横に首都ラバトへ移動。
明日は、ラバトの工房で「全力取材」です。

 

 

photo/Tooru Takahashi
text/Akane Kobayashi