ラバトでの取材を全力で終えたのち、夕方、フェスという街へ向かった。 ガイドブックをみるとFez(フェズ)、と書いてあるけど、実際標識にはFes(フェス)と書いてある。Fez(フェズ)という言い方は日本語的な感じらしい。
フェスへ向かう車の中から見える茶色と緑の大地、牛や馬や羊、歩くひと、石の家、カラフルな洗濯物、その全てにどことなく親しみがあって、だからといって住めるか?と聞かれれば、絶対に無理だなと思ってしまう。
夕方の色と光がきれいだった。
フェスで2泊。部屋が妙に広い。 夕食はホテルのレストランでとった。モロッコの食事はおいしいと思う。 強い主張はないけれど、平たく美味しい感じがする。
三方舎の今井さんが、「カップラーメンを持って行ったほうがいい」と言ってたから素直に二つトランクに入れてきたけど、まだ食べてない。とにかくずっとパンだけど、まだ飽きない。たまにふとしたときにおにぎりの映像が頭をよぎるけど、まだ大丈夫。
まだまだ時差ぼけによる眠たさは続いてる。
朝が来て、カサブランカでは2時に目覚めていたのが、ラバトで3時、フェスで4時、と徐々にこの土地の時間に慣れてきているのがわかる。朝方、どこからかコーランが聴こえてくる。
今日は一日Fesの街を見てまわった。 絨毯に関する取材はなし。モロッコを感じる一日。
まずは、セラミックの工房へ。
タイルをつくる工房では細分化された工程それぞれに職人がいてひとつのものができあがる。
モロッコの街には至るところに幾何学模様のタイルがある。 色もかたちも表現も様々な種類があり、なかなか興味深い。 GOSHIMAロイヤルコレクションのデザインにもその要素は含まれている。 それほどに、モロッコのイメージを作っているものであるようだし、長い間受け継がれてきたデザインはこの先も繋がっていけるといい。
その工房にいて、あれ?この風景みたことある。という感覚になったのは、おそらく燕の鎚起銅器の職人、大橋保隆さんの姿がそこに重なったからかもしれない。
日々鍛錬を重ね、技術を手にしていく職人というのは、国も人種も違っても滲み出るものは人間くささ、職人くささは同じように思う。高橋のディレクションによる2014年に誕生した鎚起銅器職人の大橋さんと漆職人の飯塚さんという二人が創り出す「イイハシナオタカ」という、鎚起銅器と漆のコラボでできたカップも4月にスタートする風の壺と羅針盤のオンラインショップで取り扱わせていただきます。それを伝えるためのヒントも、この旅でみえてきた。
思考はひとつの場所、ひとつの地域だけでではなく、様々に交差して組み立てられていく。
旅に出て世界をみることは、ぼんやりしていた部分を繋げてくれるきっかけになる。
話は戻って。
フェスという街は歴史も古く、その造りから迷宮都市と呼ばれる。
午後は旧市街地の細く入り組んだ路地を歩き回った。
フェスには不意な出会いが多い。
もうひとつ100年以上続く骨董品店で出会ってしまった。
それは「壺」。
私たちのユニット名は「風の壺と羅針盤」。
そもそもその名前の由来は、絨毯という高価なものがインターネットで販売できるかやってみよう、ということから始まり、それはなんだか魔法の「壺」みたいだね、となり、デザイナーとディレクターという立場からみせる、おもしろくて売れる「壺=ショッピングサイト」を作ろう、と盛り上がって現在に至るわけです。風はツムジグラフィカから。羅針盤は操縦室を表すBridgeから。
で、モロッコで出会ってしまった「壺」。 手荷物で日本に持って帰ることにしました。
ちなみに、このお店で「風」と「羅針盤」にも出会った。 なぜか3つのアイテムが揃った。
「壺」買っちゃったね。たいして用途なんてないけれど。 また、24時間近くの道中、抱き枕のように抱えたまま飛行機に乗ろう。だからなんだ、と言う話ですが。 どんだけ遠い国に来たとしても、繋がるべくものには繋がり、出会うべくして出会うものがあるとすると、自分がどんな生き方をしているか、どんなセンスでものを見ているか、それだけが大事なんじゃないかと。
2日目の朝を迎え、これから砂漠の街へ向かいます。